これまで、そしてこれから 関西理容グループのあゆみ
これまでのあゆみ創業者の軌跡
生家である、しあわせ理容
関西理容グループの創業者・山本善仁は、昭和9年、大阪市東淀川区で理髪店を営む両親のもとに生まれました。理容師としての善仁は両親も一目置くほどの腕前でしたが、末っ子であったため家業は継がず飲食店経営などを経て、40歳の時、当時流行の兆しをみせていた低料金制の理容室に就職します。
若かりし修行時代
そこで、低料金制の多店舗経営に将来性を感じた善仁は42歳で独立。1号店となる関西理容柏原店をオープンします。善仁が目指したのは、安かろう悪かろうとは一線を画す高い技術力を備えた低料金制の理容室。「安い料金でも技術は確かだと分かってもらえれば必ずお客さんは来てくれる」、そんな揺るぎない信念が彼の胸にはありました。
今も下町風情が溢れる柏原商店街
ところがオープン当初、知名度不足から店はまったく流行らず、経営は困難を極めます。それでも根気よく時を待ち、丁寧な仕事でコツコツとお客様を増やしていった善仁。その甲斐あってか、腕の良さと安さが評判となり、数年後には土日ともなれば開店前から行列ができるほどの人気店となったのです。これを足掛かりに、善仁は2号店3号店と出店し、本格的な多店舗経営に乗り出してゆきました。
店舗拡大と引退
その後も順調に店舗を増やし、成長を続けた関西理容グループ。ところが善仁は、3店舗目の出店後程なくハサミを置き、技術者を引退します。その引き際は驚くほど潔く、一線を退いて以降は弟子である従業員たちに現場を任せ、自身は経営者として関西理容の発展に奔走しました。
オンとオフ
創業から45年余り。当時の善仁を知る従業員は、口々にその破天荒ぶりと理容師としてのカリスマ性を語ります。仕事には一切の妥協を許さない鬼の指導者であるにも関わらず、仕事が終われば酒場で豪遊し、従業員をねぎらう。そんな包容力たっぷりの人間性と理容師としての確かな腕に、皆惚れ込んだのだとか。
「生涯の行きつけ」であること
時代は移り、理美容業界の在り方が多様に変化した現代も、関西理容が目指す未来の神髄には常に創業者山本善仁の想いが宿っています。それは言うまでもなく、お客様満足を追求する理容師としての信念であり、誇り。お客様にとって「生涯の行きつけ」であることを追求し続けた山本善仁の情熱は、今も関西理容の一人ひとりの理容師に引き継がれています。
これからの関西理容MESSAGE
創業者である父の意志を受け継いで代表取締役に就任してから11期目。代替わり後、法人化に取り組み、12年前には八尾店、8年前には鶴見店を出店させていただき、株式会社関西理容は、今年46周年を迎えました。
若者の理容室離れや大手低価格チェーン店の台頭で理容業界は長年厳しい状態が続いていますが、近年は欧米のバーバーを中心にクラシックなヘアスタイルが注目され、日本でもトップを残しながらサイドや後ろを短く刈り込んだジェントルマンスタイルが流行。おしゃれな若者を中心に理容室回帰の兆しがみえています。
時代とともに流行は変わっても、カットやシェービングの確かな技術で「身だしなみを整える」という理容室の役割は普遍です。創業以来、私ども関西理容グループは「お客様の生涯行きつけの店であること」を理想に掲げ、歴史を重ねてまいりました。そのためにスタッフは日々理容技術を磨き、何よりもお客様にとっての居心地のいい場所であるために、おもてなしの心を磨いています。
新人であってもベテランであっても仕事に誇りと夢を持ち、常にお客様満足のために努力を積み重ねることこそが、理容師としての成長とやりがいにつながると私どもは確信しています。
当店には、親子3代で通ってくださるお客様や、レディースシェービングをご利用の女性のお客様も多くいらっしゃいます。昔ながらの床屋のアットホームな雰囲気とサービスはそのままに、常にお客様の理想に叶う理容室として、関西理容グループはますます精進してまいります。
一人ひとりのお客様の「行きつけの店」として、これからも関西理容グループをどうぞよろしくお願いいたします。
代表 北野明子